
こんにちは。
今回は、11月7日のカンブリア宮殿に出演される、
永井彰一(ながいしょういち)さんについて、紹介します。
永井さんは現在、川場田園プラザの社長さん。
赤字だった道の駅「川場田園プラザ」を、たった一年で黒字に生まれ変わらせ、川場村を元気にした方です。
そんな永井彰一さんのプロフィールや経歴、今まで行ってきた改革などをまとめていきます。
記事の目次(クリックで飛べます)
永井彰一さんのプロフィール!

引用:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/711
- 名前:永井彰一
- 年齢:1964(昭和39)年生まれ、55歳
- 出身:群馬県川場村
- 役職:株式会社田園プラザ川場社長、永井酒造会長
永井彰一さんは、道の駅「川場田園プラザ」の社長さん。
赤字だった川場田園プラザ(通称田プラ)をわずか1年で立て直し、国内外から注目される存在にした、すさまじい手腕の持ち主です。
川場村は人口わずか3300人の村ですが、川場田園プラザは年間で190万人を集客しています。売上はなんと15億円。
もともとは家業を継いで永井酒造を経営していた永井さんですが、海外展開をするなどその積極的な経営に村が目をつけ、田園プラザの経営を託されたそうですよ。
そんな永井さん、調べてみるとなかなか強烈な経歴の持ち主でした。
永井彰一さんの経歴を調べてみた

引用:https://etutorend.com/9052.html
- 厳しい家庭で、幼少期から家業の酒造を手伝う
- 大学生のとき、「スキーリゾートを設計したい」と思い、ワーキングホリデーへカナダ、その後アメリカへ
- 飛び込みでスキーの仕事を探し、コースガイドになるために国家試験を受ける
- スキーのガイド会社に入る
- 家業を継いでほしいと父親に頼まれ、日本に帰国
- 酒造を継ぐが「アメリカに戻りたいからはやく潰れろ」と思っていた
- 「失うものはなにもない」の姿勢で経営していると、だんだん酒造に夢中になる
- 国内・海外での大規模な展開に成功
- 川場田園プラザ社長に抜擢され、1年で黒字に
…とんでもない経歴ですね。
幼い頃から酒造を「手伝わされていた」ものの、あまり好きにはなれなかったそう。
大学生のときはバブルの絶頂。
「これからスキーやリゾートのピークが来る」と読んだ永井さんは海外に留学します。
しかし、家業を継いでほしいお父さんになんと捜索願を出されてしまったそうです。
泣く泣く日本に帰り、酒造を継ぐと、持ち前の時代を読む力と経営力で永井酒造をどんどん大きくしてしまった…
そして川場田園プラザの経営も立て直す。
今の時代だと海外を飛び回ったり、自分で事業を起こしたりする大学生は増えていますが、当時は少なかったのではないでしょうか。
そんな中で信念をもって行動していた永井さんは、芯が強くて、さらに時代を先取りできる方ですね。
永井彰一さんの川場田園プラザ改革

引用:https://www.projectdesign.jp/201903/idea-of-localappear/006107.php
永井さんが行った改革を簡単にまとめてみます。
- 社員の意識改革
- サービスや商品の見直し
- 心構え
社員の意識改革

引用:https://www.gtv.co.jp/program/info/top-sugao/bn_201810.html
社長に就任してすぐ、永井さんは社員に
「今日から私が社長です。今までどおりに賞与を払えないから、嫌だったら辞めてください」
と告げたそうです。
衝撃の一言ですね。
意味は、「賞与はもらって当たり前ではなくて、黒字にならないと出せませんよ」ということ。
川場田園プラザは第三セクター、つまり官民の共同設立だったので、「利益を出す」という意識が薄かったそうです。
そんな中で永井さんは、コストという意識を社員に徹底させました。
サービスや商品の見直し

引用:https://www.gtv.co.jp/program/info/top-sugao/bn_201810.html
当時、田園プラザの評価は最悪で、「ごみをまたぐ田園プラザの社員」、「あいさつをしない田園プラザの社員」なんて言われてたそうです。
永井さんはそんなサービスを徹底的に改革。
東京ディズニーランドに全社員を連れていき、ひとつもアトラクションに乗らずに「一流のおもてなし」を観察するように言ったこともあるそうです。
また、商品は「地産地消」と「本物志向」を掲げて改革。
川場田園プラザにはビールや乳製品などさまざまな工房がありますが、輸入品や県外の材料は使わず、なるべく川場村の食品を使っています。
道の駅を訪れる人の7割は、首都圏にお住いの方々です。地元にはすぐ通える場所にスーパーがあって、野菜から肉まで大抵のものが手に入る。わざわざお金を払って、時間をかけて川場田園プラザにやって来てもらうには、ここでしか手に入らないモノ、食べられないモノが必要でした
https://s.rbbtoday.com/article/2015/12/16/137973.html
お客さんがわざわざ川場田園プラザを選ぶ理由ができ、地元の農業も活発化して、地域全体にいい影響があったそうです。
心構え

引用:https://www.gtv.co.jp/program/info/top-sugao/bn_201810.html
永井さんが社員に伝えたのは、「感謝しよう」ということ。
「来ていただいてありがとうございます」「納品していただいてありがとうございます」が全くなかったものですから、「買ってやっている」、「売ってやっている」っていう意識がすごく強かったんで、そこの調整をしました。
https://gunma-cgc.or.jp/cms/wp-content/uploads/2019/06/challengethedream74.pdf
経営を立て直すために「感謝」の改革をするのは少し以外な気もしますが、きちんとした接客ができてこその商品ですよね。
まずは土台をしっかりさせる、永井さんの改革からはそんな姿勢もうかがわれます。
永井彰一さんの地方創生に対する考えとは?

引用:http://park19.wakwak.com/~motoo/140701.html
川場田園プラザはもともと、過疎地指定を受けてしまった川場村を立て直すために作られました。
その目的を達成し、IターンやUターンで多くの若者が入ってくる素敵な村を作り上げた永井さん。
地方創生って、経済がうまく循環することと、あとはやはり元気で幸せな、笑顔があるってことが大切だと思うんですね。やはり人が集まったり、話題に欠かなかったりして、見ている側じゃなくて、見られる側になると、地方創生ってうまくいくのかなと思いますね。
https://gunma-cgc.or.jp/cms/wp-content/uploads/2019/06/challengethedream74.pdf
地方創生、というより、まずは川場田園プラザを見てもらえる存在にすること。
自分たちが当事者意識を持って、主体的に運営していくこと。
永井さんはそうやって少しずつ村を立て直していったんですね。
まとめ:永井彰一さんは、芯を持って改革する経営の天才だった!

引用:http://www.rid2840.jp/numata/activity2011/syakai_demae8.html
今回は、カンブリア宮殿に出演される永井彰一さんについてまとめていきました。
次々と新しい改革ができる発想力は、永井さんが常に「ものごとの本質」を捉えようとしているからこそではないでしょうか。
川場田園プラザの改革でまず「あいさつ」を持ち出したことがその象徴だと思います。
川場田園プラザでつくったビールや、川場村のお米「雪ほたか」を使った「KAWABA RICEBALL」は海外展開され、生産が追いつかないほどの人気だそうです。
これからの川場田園プラザ、そして川場村の未来が楽しみですね。
では、今回は以上です。
ありがとうございました。
執筆者:ウド マツリ